上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
もう一度言いますが今日はつまんないので。見なくてもいいかもです。


この間書いたことですが、半径10m程の現実、と申しましょうか。実感の無いものを現実として受け止められない、受け止める気がない、そういった内容のお話で、後日書きますと言っていた事を今日書いて見ます。

テレビやラジオや、そういった物が普及するにつれて特にリアリティーというものを意識するようになったのかもしれません。
昔ならば確かに身の回りの事がすべてであったでしょうし、又聞きくらいしか自分の領域の外の事を聞く事はできませんでした。
いや。今となっても情報こそテレビや新聞やネットや、何かしらで知る事が出来るようになりましたが、本質は変わっていないのかもしれません。
自分に関係してくる事柄のみが自分の現実、世界。それがすべて。
もっともです。人の事を理解するような器官なんて人間には存在しません。誰かの痛みでも自分が感じた事のある痛みに置き換えることはできても、知らないものを理解する事はできません。
人の理解の範疇なんて結局そんなものでしかないのでしょう。
解ったようなふりをして人に合わせたり、あるいは解らないものはわからないと切り捨ててしまったり。それは人それぞれになるのでしょう。

・・・そう思いますか?
残念ながらわしはそうは思いません。
現実とはこの世界、その範囲内外、考えうる全て、その範囲内外。
宵さんがいいこと言いました。
「都合よく形を変えるのは現実じゃない、現実はそこにある。都合よく変わるのはヒトの物事の捉え方じゃないかな。」
現実の中で人が物事を捉えられる範囲が変容しているのであって、現実はその範囲に関係なく現実でしょう。
しかしながら誤情報や偽情報が飛び交う中で、全てを信じるわけにも、疑うわけにもいかない。
要は自分の捉え方が自分の世界を形作っている、ただそれだけです。
捉えきれないものの代表といえば「死」でしょうか。
死ぬ事は不思議なもので、誰もが不安に思い恐れているのかというとそうでもありません。やっぱり自分の捉え方次第で、身近に感じている人や遥か遠くにあって感じもしない人もいるでしょう。
そりゃ当然ってもんです。むしろテレビやなんかでそういった光景があるたびにその痛みや苦しみを理解していたら体に精神がもちません。

でも一番勘違いしないで欲しいのは、自分が捉えきれていないだけで現実はちゃんとそこに在る、という事です。

目の不自由な人にも、耳の不自由な人にも、何かの病気に犯されている人にも、いたって健康な人にも。どんな人にも自分だけの現実、自分だけが理解できる世界の領域があります。領域が、あるだけです。それだけが世界ではありませんし、それだけが現実なんてありえません。
自分の現実に関わらないようなネット上の相手とのやりとりなんか、何を言ったっていいし何をしたって問題ない、なんてこともありえませんよ。
たとえゲームでもそれは現実。ゲームをしている人々は全て現実に存在するのですから。


長々と語ってしまいましたすみませんごめんなさい。
しっかし・・・少し考えていたのですが、ネットというたくさんの人と触れ合う場でありながら自分の素性の一切も知られないという隠れ蓑的な構造のおかげ、というかせいというか・・・で、暴言妄言詐欺詐称し放題。なーんて勘違いをしている人間の多いこと。
こりゃ生涯収集つかんのだろうなぁ。
今回のことといい、自分が正しいなんて主張する気は毛頭無いけれど、ネット関係は現実じゃないように感じているんだろかねぇ。
わけのワカラン犯罪も増えてきてるし。
先の事を考えすぎるのは好かんがそれでもこの先の子供たちの考え方ってのが不安でならない。否、大人もか・・・。
分かたれたる陰陽、合して何となるか。
今日はこれにて。

ではでわ
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://sousousou.blog12.fc2.com/tb.php/71-4948d178
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。